MTIジャーナル

MTI Journal.19

エキスパートエンジニア×AIで
安全運航をサポート

間﨑 厚稀


船舶物流技術グループ 上級研究員

2022年8月23日掲載

※職名は2022年8月23日時点

 

2019年10月にMTIへ着任し、船舶機関の異常検知システムに関する研究に携わっています。MTI着任前は、NYK Business Systemsにて船舶の運航に必要な費用を管理するシステムなどの運用保守業務を行ってきました。MTIではIT技術のみならず、現場を知る機関士の方々のドメインナレッジや考え方を少しでも多く吸収し、日々の研究開発業務に活かすことで日本郵船の安全運航・効率運航に寄与したいと考えています。

陸上における船舶IoTデータの利活用

日本郵船・MTIでは、安全運航を実現するため、SIMS*1データを見える化し、さらにそのデータを分析し、異常が検知された際にはアラートを出すことができる「知らせる化」に向けて、運航モニタリングシステム「LiVE」をこれまで構築してきました。また、このLiVEを船舶の保守・管理等に役立てるよう、船主や船舶管理会社と一緒に活用できるような形で展開しています。さらに現在のLiVEは、リアルタイムでのデータ可視化機能、オンライン・オフラインでのデータ分析機能、異常検知機能等、便利なツールが組み込まれています。

また、船舶のデジタル化に伴い、乗組員教育や標準運航手順のデジタル化など、船舶の安全運航をサポートするための様々な取り組みを実施しています。近年では、船舶のIoTデータを機械学習に用いて舶用機器の運転状態を監視し、故障を早期に発見する異常検知システムや、データ品質監視システムを開発しています。

機械学習を用いた異常検知システムの開発

24時間365日、本船の乗組員がデータの推移を見守っていれば、大きな事故になる前に異常を検知することが可能となりますが、頻繁に起こるわけではないこれらの異常を検知するために、運航船のすべてのエンジンの状態を常にモニタリングしようと思うと、膨大な人的リソースが必要になってしまいます。

かつては、乗組員に任されていたエンジンのメンテナンスですが、LiVEの導入によって陸上からでもエンジンの状態監視ができるようになり、船陸間で情報共有しながら様々な事態に対応できるようになってきました。加えて、異常検知システムを開発することで、異常の早期発見だけでなく、陸上にいる機関士がデータを詳細まで監視できるようなり、異常の見逃しや誤報も減らすことができるようになってきています。異常検知システムの開発は、モニタリング作業をできる限りシステムに任せ、機関士には異常の分析や対策の検討に注力してもらいたい、という発想に基づいています。

ユーザビリティの向上とシステム本番化

この異常検知システムでは異常の検知のみならず、検知した異常に対して機関士の分析結果(対応必須の異常であるか/正常とみなしてよいか)を記録することもできます。こういった、データに対して「異常」、「正常」といったタグを付けていく作業はアノテーションと呼ばれており、アノテーションは一般的に担当者とツールを別途用意する必要があります。しかし、このシステムでは異常検知の結果を分析するタイミングで簡単に、かつ自然とアノテーションを行えるよう、マウスで感覚的に操作できるようなスライダーの実装、異常検知スコアとデータのグラフを横並びで比較できるようにするなど、ユーザビリティの高い画面にすることで、分析業務の一作業として負担なくアノテーションが行えるようにしました。アノテーションのための人的リソースの確保や時間の確保が課題として挙げられることが多いため、機械学習を用いたシステムにおいて負担なくアノテーションできるユーザビリティはとても重要であると考えています。

ユーザビリティ向上の反面、これらオリジナル機能の多さから、システムの仕様、内部ロジックの複雑化に伴い、どうしてもプログラムの不整合が発生しやすくなってしまうため、内部ロジックを考慮した画面の動作確認テストを徹底することで、本番システムとして稼働させることができる品質までもっていくことができました。加えて、この異常検知システムの開発から本番化までの全体をとおして、機械学習を用いたシステムに求められるユーザビリティや本番化における注意点を知見として得ることができたので、これらを次の新規開発における要件定義や、MLOps(機械学習基盤)*2の概念を用いたより効率的なCI/CD(継続的インテグレーション/継続的デリバリー)*3の実現に役立てることができると思います。

Expert-in-the-Loopというコンセプト

機械学習を用いたシステムから得られた異常検知結果は実際の異常判定における重要な指標となり得ますが、そのブラックボックス的な性質から誤検知が多発しないよう、あるいは検知を見逃さないよう、システムを制御する必要があります。このような現象はAIのブラインドリスクと呼ばれています。現在、エンジンプラントの運転状態を人間に代わってAI(異常検知システム)が24時間監視しています。しかし、AIの異常検知結果は完璧ではないので、乗船経験や専門知識を持った人(エキスパートエンジニア)がAIの異常検知結果を精査します。

そこで生まれたのが、「Expert-in-the-loop」という考え方です。これらの解決策としては、エキスパート・イン・ザ・ループという形で、機械学習を用いたシステムのデータ品質と挙動を監視するエキスパートエンジニアに、AIと本船の橋渡しになってもらうことです。エキスパートエンジニアの役割は、システムが出力する異常検知結果を合理化し、専門知識に基づいて徹底的に分析し、その結果を適切な関係者に報告することです。

日本郵船とMTIは2018年からこのコンセプトの開発に着手し、2020年8月にフィリピン・マニラにあるNYK FIL Maritime E-Training社でRemote Diagnostic Center(RDC)を立ち上げ*4、実現することができました。これは、専門知識を活用するだけでなく、将来の日本郵船グループの安全運航を支える若い技術者にデジタル化への取り組みを紹介するという目的もあります。

 

RDC訪問時(左から3番目が本人)

RDCオペレーション時の様子

RDCでのExpert-in-the-Loopの実現

Expert-in-the-loopを実現するため、RDCでは2次元的なSystem Engineeringを使用しています。下図におけるそれぞれのレイヤーはRDCでExpert-in-the-loopを実現するための指標や具体的に利用するシステムの関係性を表しています。MTIのRDCプロジェクトでは、異常検知システムの開発・本番化に加え、これらのコンセプト作りも行ってきました。

System LayerとInformation Management Layerでは、エキスパートエンジニアが異常検知システムの出した結果を精査するにあたってどのような情報を必要としているのか明確にし、エキスパートエンジニアにとっての報告の優先順位を決める必要があります。そのためには、多くのアプリケーションを効率的に利用し、判断できるように整理しなければなりません。System Layerにおいては、RDC業務にとって有用と考えられるシステムの洗い出しや、そのシステムの中でも異常検知精度の向上につながる情報や機能を整理し、Feature Matrixの形でまとめました。

異常検知の分析に必要と思われる全てのシステムを把握しきれているわけではなかったため、Feature Matrixの作成においては、各システムに精通している人物を探し、ヒアリングするところから始めました。想定よりも知らなかったシステムが多く勉強不足を痛感する一方で、システムの機能のみならず、システムの関係者や業務の内容についても知ることができたので、とても勉強になりました。また、各システムで同じようなデータ項目を利用していてもデータソースが異なるなど、システム統合検討における課題を発見することもできました。

Information Management Layerにおいては、異常検知の結果を適切に管理するために利用できそうなシステムの調査や、必要な機能についてまとめました。新しい組織、新しい業務で利用するシステムになるため、最初は手探り状態となりましたが、プロジェクトのメンバーで実際に業務をシミュレーションしてみるトライアルテストを実施してみることで、必要とされる機能の洗い出しや各種ツールの課題をスムーズに行うことができました。Activity Layerでは、Expertの異常判断における思考プロセスを標準的な異常評価ステップに落とし込み、業務プロセスとして確立する必要があります。そこで、エキスパートエンジニアのヒアリングをとおして、システムの異常検知結果をどのようなフローで優先順位付けするのかをまとめました。Strategic Layerにおいては、RDCの貢献度を最大化するために、ステークホルダーのKPIと連動したRDCのKPIを設定する必要があります。そこで、日本郵船事業部のヒアリングをとおしてKGI(Key Goal Indicator)を確認のうえ、ギャップ分析やプロセス確認を経てKPIの検討も実施しました。

中でもInformation Management Layerにおいて、現状はマニュアル作業にて異常検知の結果や本船からのフィードバックが管理されていますが、本活動でまとめた情報を参考にシステム化し、異常検知システムと連携させることによって3つのメリットを享受し、安全運航・効率運航に役立てることができると考えています。1つ目のメリットは、教師データの自動作成です。異常検知システムの検知結果に対する本船のフィードバックがあれば、これを教師データとして、リアルタイムでより良い機械学習モデルを作成することができると思います。2つ目は異常の原因分析精度向上です。BIツールやプログラムにより本船のフィードバックを可視化、分析することができれば、分析の精度向上が実現でき、RDCの報告・管理業務の効率化も図ることができると思います。3つ目は定量化されたKPIとの比較です。重大事故に繋がる可能性のある異常の検知数、検知精度と定量化されたKPIの比較が容易となり、リアルタイムでRDCの貢献度を可視化することができ、組織の改善活動に繋がると思います。

ClassNK「IEプロバイダー認証」の最高評価を取得

これらの取り組みを通して、RDCは2022年3月に一般財団法人日本海事協会(ClassNK)から革新的な取り組みを評価するInnovation Endorsement(IE)のプロバイダー認証において、最高評価となるクラスSを取得しました*5。ClassNKによる2020年の本制度導入後、RDCはIEプロバイダー認証クラスSを取得した初の企業・団体となります。

機械学習を用いたシステムとなると、高度な専門知識による機械学習ロジックの開発にばかり目が向きがちですが、実際には担当者が利用する画面や業務の流れを含めた全体最適化が必要となります。このように実務での利用を考えた異常検知システムを開発することで、日本郵船の安全運航・効率運航に寄与できるものと考えています。

 

*1 SIMS(Ship Information Management System):運航状態や燃費、機器の状態など毎時間の詳細な本船データを船陸間でタイムリーに共有するための、日本郵船グループが開発したシステム

*2 MLOps(機械学習基盤):  機械学習(Machine Learning)の開発チームと運用チームが連携・協力してモデルの開発から運用まで一連のライフサイクルを管理する基盤・体制

*3 CI/CD(継続的インテグレーション/継続的デリバリー):  アプリケーション開発のステージに自動化を取り入れて、顧客にアプリケーションを提供する頻度を高める手法

*4 2020年8月21日付 日本郵船プレスリリース:https://www.nyk.com/news/2020/20200821_01.html

*5 2022年3月30日付 日本郵船プレスリリース:https://www.nyk.com/news/2022/20220330_01.html